005 たま解散、あれから10年(前編)

2003年の10月に吉祥寺スターパインズカフェで行われたたまの解散ライブ「たまの最後!!」から明日でちょうど10年が経つと知って驚く。ぼんやりと生きているうちに、途方も無い年月が過ぎてしまっていた。

1998年、世紀末がどうのとかノストラダムスがどうのとか騒がれている中で、僕は小学5年生だった。今の僕を知っている人は想像がつかないと思うけれど、あの頃僕は、図書館と古本屋をはしごして漫画ばかり読んでいた点を除けば比較的明るい少年で、少ないながらも遊ぶ友達はいたし、時に男女混合のグループでとなり町まで遊びに行ったり、修学旅行のバスの中では率先してカラオケを歌ったり(曲はT.M.Revolutionの「HOT LIMIT」。振り付け付きで歌った。あれを覚えてる人、今すぐ忘れてください)、更に恐るべき事に、後に発行される小学校の卒業アルバムでは「面白い人」「クラスのムードメーカー」「将来有名になりそうな人」のランキングで1位を獲得したりしていた。ウソだろ!と思うだろうけど、本当の事なんですこれ。
当時から音楽は好きで、さらに当時はテレビっ子だったので、毎週「速報!歌の大辞テン」とか「CDTV」といった音楽番組をチェックしていたし、文化放送で放送されている音楽ランキング番組も聞いていた。だから未だに90年代後半に流行っていたJ-POPは大体思い出すことができる。
ちょうどその頃、誕生日にミニコンポを買ってもらった。CD、MD、カセットが再生できてラジオも聴けるすぐれものだ。これで僕は毎週色々なラジオを聞くようになり、深夜ラジオにのめり込み、その流れで声優がパーソナリティを務めるアニラジも聞くようになり、中学生になる頃には一端のオタクになっていたのだけど、それはまた別の話なので割愛する。
さて、コンポを買ってもらったはいいが、手元にはそれで再生するためのCDがない。小学生の財力と言ったら限られており、1枚3000円、シングルでも1000円はするCDをホイホイと買う事はなかなかできず、当時僕が持っていたCDと言ったら、ラジオの応募プレゼントで当たったCD券で買ったT.M.RevolutionMALICE MIZERのアルバムと、子供の頃親父に買ってもらった劇場版ドラえもんの主題歌が入ったシングルくらいである。あと、僕が初めて自分のお金で買った、結城梨沙などが歌うOVASDガンダムの主題歌が何曲か収録されている「ミニアルバム」という名前のシングル盤か。とにかくその頃僕は、あまりCDを持っていなかった。
そこで僕は、近所のレンタルビデオ屋兼中古ゲーム屋兼CDショップ「リバティー」に通い詰めるようになった。ここでは古いシングルCDが1枚10円とか20円とかで叩き売られていたので、僕はそこでわけもわからず、一番安く手に入る90年代初頭に流行った曲のシングルをモリモリと買った。とにかく買ってもらったコンポでCDを再生したい、というのが一番だったので、音楽性がどうとか、好みがどうとか、そういうのを全部抜きにして、とにかく安いものを手当たり次第買ったのだった。なので今でも僕の実家にはKANの「愛は勝つ」とかB'zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」とかの短冊シングルがどこかに転がっていると思う。

そんなある日、僕はいつものようにリバティー(6年前に潰れ、今ではゴルフ用具品店になっている)に足を運んだ。定価で売られている新譜CDコーナーを無視して、古い短冊CDが大量に刺さっているいつものコーナーに向かい、せっせと安いシングルを探していた。
そして僕は「た」の行で、不思議なジャケットのCDを目にする。
表は粘土で作られたメンバーの顔。裏は実際のメンバーの写真が使用されているのだけれど、それがまた奇っ怪なものだった。
メンバーは4人。おかっぱ頭、ランニングを着ている坊主、後の2人も異国じみた格好をしている。その4人はそれぞれ担当と思われる楽器を持っているのだけれど、それもまた、アコーディオン、首から下げた小太鼓、8弦の見た事もない楽器(当時の僕はマンドリンを知らなかった)と、あまり馴染みのないものばかりがそこには写っていた。
少し解説をすると、98年当時といったら所謂「第二期ヴィジュアル系バンドブーム」というものが到来していた時代で、音楽番組を見れば必ず上位に数組はヴィジュアル系のバンドがランクインされていた。MALICE MIZER、La'cryma Christi、FANATIC◇CRISISSHAZNAが「ヴィジュアル四天王」という恐るべき名前で呼ばれていたり、PENICILLINDIR EN GREY、更にはLaputaと言ったバンドがアニメの主題歌を歌っていた。
そんなヴィジュアル系ブームまっただ中で小学生だった僕は、小粒な脳みそをフル回転させた結果「そうか、バンドというのは、髪の色がカラフルだったり、顔の前に開いた手を置くよくわからないポーズを取ったり、とにかくカッコいい人がやるものなんだな」という結論に至った。それと同時に、ぼんやりと想像していた「いつかギターを練習してバンドを組みたい」という夢も諦めた。当時から僕の面構えは人並み以下であると認識していたので、こんな不細工な俺があんなカッコいい事をできるわけがないじゃないか!というわけだ。
そんな事を思っていたので、その時手にしたCDのジャケットには度肝を抜かれた。バンドというのは、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボードが「いなくてはならず」、そしてメンバー全員「カッコよくなくてはいけない」という認識があったのだが、そのジャケットに写っている人々はそのどちらにも当てはまっていなかった。
ベースはいるけどギターはいないし、ドラムとキーボードがいない代わりに太鼓とアコーディオンがいる。メンバーみんな髪も長くないし逆立ててもいないし、顔も決してカッコいいというわけではない(よく考えてみるとメンバー全員美男子なのだけれど、見かけの奇天烈さに目を取られていた当時の僕はそこまで気づく事ができなかった)。
そして曲名も妙だ。その当時といったら、大体タイトルに「Love」とか「愛」とかが入っていたし、そもそもバンドがやっている曲名は「必ず英語でなくてはならない」という固定概念もあった。なのにこのシングルのジャケットに書かれているタイトルは「さよなら人類/らんちう」である。
いったいこのバンドはなんなんだ!?というわけで、僕は当時としては高額な200円を払い、そのシングルCDを買った。
もう言わなくてもわかると思うけれど、そのバンドの名前は「たま」。図らずしも僕は、200円を払った事によってその後の人生が大幅に変わっていくのだけれど、その事にまだ当時の僕は気づいていなかった。

さて、ジャケットに強烈なインパクトを受けて思わず買ってしまったCDだけれども、家に帰ってそれを再生してみると、更に衝撃を受けた。とにかく、今テレビで流れている音楽、そして今まで聴いてきた音楽、そのどれにも当てはまらないのだ。
激しいビートを刻むドラムも、ギャンギャン鳴ったりピロピロソロを弾くエレキギターもない。その代わりにチャカポコとなる太鼓の音(後にそれが桶や鍋であるという事を知る)、そして2曲目では淋しい音色のアコースティックギターアコーディオンの音色が鳴り響く。歌詞も「君が好きで壊れそうでどうのこうの」みたいなものではなく、「二酸化炭素を吐き出して/あの娘が呼吸をしているよ/曇天模様の空の下/つぼみのままで揺れながら」といった、掴みどころのない、そして不安とも安心とも言い難い、不思議な気持ちになる歌詞が牧歌的なメロディで歌われている。
2曲目「らんちう」の最後の「ゴーン」という鐘の音が鳴り、CDの再生が終わった頃には、僕はもうこのバンドに釘付けになってしまっていた。
「なんなんだこのバンドは!」
それは最初は怖いもの見たさとか、物珍しさであったかもしれない。しかし、近所の中古CD屋を回ってアルバムを手に入れたり(幸いな事に『さんだる』〜『犬の約束』まではスムーズに手に入ったのだけど、『ろけっと』以降が全く見つからず泣かされた)、その頃父親の会社に導入されたパソコンで、ネット上に載っているたまのライブレポとかを印刷してもらって読んだりしているうちに、そのたまの持つなんとも形容し難い世界に夢中になっていた。
知久寿焼の歌う「さみしさ、かなしさ、たのしさ」の世界、柳原幼一郎の童話の世界のような楽曲、石川浩司の笑顔で人を殺しそうな狂気性、滝本晃司が淡々と歌う日常から少し逸脱した風景。この4者の歌う歌は、少なくとも98年当時僕の知っている限りでは、テレビからもラジオからも流れていなかった。
「そうか、音楽とはこういう事を歌ってもいいのか!こういう楽器を使って、こういう格好をしていてもいいのか!」
という事を教えてくれ、僕の固定概念を木っ端微塵に打ち砕いてくれたのが、たまである。

そして翌年の11月、川崎のクラブチッタで「たま結成15周年ライブ」が行われる。偶然図書館に置いてあったぴあでその情報を目にし、もうそれからは居てもたってもいられず、結果、貯めていたお年玉貯金を下ろしてチケットを買い、埼玉の片田舎に住む頭の悪い小学生では川崎まで一人で行く方法がわからないので、仕事終わりの父親に会場まで連れて行ってもらい、無事クラブチッタに辿り着き、僕は夢にまで見た「動くたま」を見る事ができた。最初にやった「かなしいずぼん」の語りの最後で石川さんが「この話は、3曲後に続く〜!」といい、その3曲後の「学校にまにあわない」の語りの部分に繋がっていった時は感動したし、なによりその時聴いた「空の下」「ゆめみているよ」〜「夢の中の君」は、多分一生忘れないと思う。
ちなみにこれが僕の人生初のライブ体験であった。本当はこの1年か2年前に、当時流行っていた番組「ウッチャンナンチャンウリナリ」から出てきたユニット、ポケットビスケッツの「署名を集めてポケビ解散撤回しよう!イベント」を確か幕張まで見に行っていたので、厳密に言うならばたまの結成15周年記念ライブは人生で2度目のライブ体験なのだけれど、いちいちポケビ云々のくだりを説明するのは恥ずかしいのでなかった事にしている。「大変だ!ポケビが解散しちゃう!みんな署名して!」だって。バカか。

その後僕は中学生になり、年に1回くらいはライブに行き、昔たまがレコードを出していたという情報からナゴムレコードを知り、その頃ちょうど発売した「ナゴムの話」をとなり町のサブカル感あふれる本屋「あゆみブックス」で購入し(2000年ごろは太田出版とか青林工藝舎とかの本が一角に沢山置かれていたのだけれど、僕が高校を出た頃くらいからサブカルコーナーが全部撤廃され、跡地には萌え系4コマ漫画の単行本がずらりと並べられていた。サブカルがオタクに敗北した瞬間である)、それを表紙が擦り切れるほど読み、その辺りから筋肉少女帯とか有頂天とか痛郎(僕が日本で一番好きなバンド。このバンドについて話すと止まらなくなるので今回は省略する)を知り、それと同時にキング・クリムゾンとかイエスといったプログレを聴くようになり、中学校生活では吹奏楽部に入ったものの恐るべき女社会でそこから爪弾きにあい、勉強もたいしてできず、顔はニキビだらけになり、身長も伸びなくなり、人生の方も伸び悩み、これから先長い長い暗黒期に突入していくわけだが、一体何の話をしていたのかわからなくなってきたので話を戻すとして、とにかく僕はたまをきっかけとして、所謂サブカルチャーの世界に没入していく事になったわけである。

そんな鬱屈とした中学時代を過ごしていたわけだけど、僕には希望があった。それは「高校生になったらアルバイトもできるし、そうすればお金が自由に使えてたまのライブにも行ける!」というものだ。結局中学生の財力なんてものは限られており、ライブに行けないのはもちろんの事、発売したCDを買う事すらままならない。結局ネットに上がっているたまファンサイトのライブレポを見て、ライブの光景を想像し、いいなあーおれもいきたいなあー、と、汚い4畳半の部屋ででんぐり返っているわけだが、高校生になれば全てが解決する!と思っていた。そう思っていたのだった。
そんなに頭の良くない高校に入学した2003年、学校で友達はできず、入った吹奏楽部は3ヶ月で辞め、そして迎えた夏休み。遊びに行く友達なんていないので、自宅で延々と筋肉少女帯の「サーカス団パノラマ島へ帰る」を大音量で流し続け、親に心配されていたそんなある日の事であった。
2003年はTwitterはおろかmixiもなく、ぎりぎりブログというものが出てきたくらいの頃なので、情報収集の場は2ちゃんねるに頼りっきりだった。その日も僕は昼間っからどこへも行かず、「どれ、今日もたまスレでも見るか」といってパソコンの前に座るという非常に有意義な夏休みを過ごしていたのだけれども、いつものようにたまスレを開いたら、スレがずいぶん伸びている。そして書き込みの内容も慌ただしい。おや何かあったのかなと過去ログをさかのぼってみると、とんでもない書き込みを目にした。
「たま、10月で解散」
過去ログが確認できないのであやふやな記憶でしかないのだけれど、確か最初の書き込みはたまファンクラブに入っている人のものだったと思う。家にファンクラブから封筒が届き、開けてみたら解散のお知らせが入っていた、というものだったはずだ。
この書き込みを見た時の事をよく覚えていないという事は、多分それほどまでにショックを受けなかったのだろう、と思う。というより、突然の事だったので何がなんだかわからなかった、という方が正しい。バンドが解散するということの重大性をまだこの時は理解していなかった。
しかしその衝撃はじわじわと来た。「おいおい、解散するって事はつまり、これから先ライブに行けないって事じゃん!どうしてくれるんだよ!」。そんな事言われても知らんよと今の僕なら言うけれど、なにしろ16歳の小粒な脳みそではそこまで考える事ができなかった。
あわわあわわとしているうちに夏休みが終わり、学校が始まり、この辺りから学校に行かなくなってきたのだけど、まあその話は置いといて、そしてこの頃また2ちゃんねるでたま解散の情報を目にする。
「たまの解散ライブは10月の28、30、31日の3日間、吉祥寺のスターパインズカフェで行われる。それに伴い、今夜からその前売りチケットの受付が会場で行われるらしい」
その時僕はこう思った。「この前売りチケット、いつ買うか?」まあこの後のセリフを書こうとしたけど文字を打っているうちに自殺したくなったので書かないし、そもそもそんな事2003年に考えているわけがないのだけど、それはそれとして、とにかく前売りチケットが今夜から発売されるという情報を手に入れたわけである。このライブを見逃したらもう二度とたまを見る事ができない。そしてチケットを早く買わないと売り切れてしまう可能性が高い。どうするか?
「よし、今夜吉祥寺に行こう」