015 ドラえもんはお前らがネットで暴れるためのガソリンではない(ネタバレもあるよ!)

「STAND BY ME ドラえもん」のCMを見てから嫌な予感がしていた。「いっしょに、ドラ泣きしません?」という鼻持ちならないキャッチコピーからは、もはや感動の押し売りしか感じられないからだ。
大体僕はここしばらくの「ドラえもんとは感動的な漫画だ」という風潮が気に入らない。あのなあ、ドラえもんは確かに感動的な話もあるけれど、それはドラえもんの中の一要素でしかなくて、他にももっとメッチャクチャなギャグ回や、戦争批判、環境問題にをテーマにしたシリアスな話もあるからね(またそれだけを持ちだして「ドラえもんは社会的な漫画である」と言われるのも虫酸が走るけれど)!それだけ懐の深い漫画なのに、その中の一番てっとり早くてキャッチーな部分だけを抽出して、何が「ドラ泣き」だ。これでまたTwitterFacebookに「彼氏とドラえもん見に行きました!途中泣いちゃったのバレてないかな?」等というヘドが出そうな投稿が山のようになされるんだろうな。うるせえうるせえ、ドラえもんはお前らのFacebookの肥やしじゃねえんだよ!
……という悪口をブログやTwitterに書きまくるぞ!と意気込んで「STAND BY ME ドラえもん」を、それも公開初日である先週金曜日の夜に見に行ったんだけど、まあ泣いちゃいましたよね。ヲンヲン泣いた。その模様をCMで流される日も近い。「ドラえもん大好き!」だって。アホか。
しかし実際映画を見た感想としては、良かった。思ってた以上に良かった。前情報からは不安の要素しかなかったけど、内容もほぼ原作に忠実であり、感動のゴリ押しかと思いきや前半にはちゃんとおふざけ回の話も採用されており、きちんと「子供向け漫画ドラえもん」の体がなされていた。ところどころに挟まれる小ネタ(未来の世界で大人になったジャイアンの部屋に「乙女の愛の夢」のレコードが飾られていたり、「あばら谷ホーム」の看板が出ていたり)も僕のオタク心をくすぐった。もちろん一言言いたい点はあるけれど、総じて見ると良い映画なのではなかったか、と思う。なんだ、これじゃ悪口書けないじゃん、というクズ人間の極みのような事も思った。

ところが、である。先日Twitterを見ていたらまとめブログの記事のリンクが流れてきた。例によって「映画ドラえもんが改悪wwwww」みたいなどうしようもないタイトルである。気にはなるのでリンクを開いてその記事を読んでみたら、まあ不平不満の嵐。だがしかしこれは仕方がない。僕がいくら納得したって、他の人は映画の内容に満足できなかったのだとしたら、その人の口を塞ぐことはできない。みんなジャンジャン思った事を言うべきである。
しかしヒドかったのはその不平不満の内容である。僕から見るとその9割が的外れもいいところで、そしてそういう人に限って「F先生が見たらなんていうかな?」みたいな事を言うのである。さも自分が「俺はF先生の気持ちを"わかってる"」と言わんばかりに。
というわけで、僕はここで「ドラえもんはお前らのFacebookの肥やしではない」改め「ドラえもんはお前らがネットで暴れるためのガソリンではない」と題して「『STAND BY ME ドラえもん』への批判への批判」をしたいと思う。誰にも頼まれてないのに。大きな声で。元気良く。

一番多かった批判が「成し遂げプログラム」へのものである。これは映画オリジナルの設定で、そもそもドラえもんのび太のお世話なんかしたくなかった、早く未来に帰りたかった。それを封じるためにセワシくんがドラえもんに「成し遂げプログラム」を埋め込み、「未来に帰りたい」と口にすると、体に電流が流れてお仕置きをする。その代わり、「のび太を幸せにする」という当初の目的が「成し遂げ」られたら、今度は逆に「帰りたくない」と口にすると体に電流が走る、というものである。
これに関して批判は2種類ある。まず1つは「ドラえもんは自分の意志で未来から来てのび太と友達になったのに、それを『成し遂げプログラム』という独自の設定によって、原作にあったドラえもんのび太の関係が損なわれている!」というものだ。確かにその気持ちはわかる。そんな設定を新たに取り入れる必要性があったのか?と。
しかし映画を見ると、成し遂げプログラムの存在は最初と最後に出てくるだけで、他のシーンにはほぼ出てこない事がわかる。成し遂げプログラムの設定が登場するシーンはどこかというと、ドラえもんセワシくんに連れられて未来からやってくるシーンと、最後の「のび太が幸せになった」事により未来に帰らなくてはならないシーンである。
この「成し遂げプログラム」については、単なる「原作の設定の補強」以外の何物でもない、と僕は思う。何言ってんだ、ドラえもんが無理やり未来から連れて来られたなんてどう考えても原作レイプ(この「原作レイプ」という単語も気持ち悪くてどうしたもんかと思うけれど)じゃないか!という人もいるだろう。
しかし、言うまでもなくドラえもんが未来に帰るシーンは、誰もが知っているあの名作「さようならドラえもん」を下敷きにしている。しかし読んだ事がある人はご存知かとは思うが、この作品ではドラえもんが未来に帰る理由を明らかにしていない。突然ドラえもんが未来に帰らなくてはならなくなった、という事が作中で描かれるのみである。
これをそっくりそのまま映画化したのが98年公開の「帰ってきたドラえもん」であるが、今回は色々な短編のエピソードを並べて1つの映画にしているので、そういうわけにもいかない。未来に帰るなら帰る理由が必要なのだ(ここで「何言ってんだ!てんとう虫コミックスには長らく収録されていなかったけれど、09年に刊行された藤子・F・不二雄全集の『ドラえもん』に収録されたことでようやく陽の目を浴びた、小学四年生に掲載された最終回ではきちんと理由が書かれていただろ!」と言う人もいるかもしれないが、その話になるとただでさえ長い話がもっと長くなるので、今回は触れないでおく)。
そこで「成し遂げプログラム」という新たなる設定を映画に取り入れたのだ。これによって「どうしても未来に帰らなければならない」理由ができる。そして最初は嫌々来たけれど、徐々にのび太との友情が深まり、未来に帰りたくない、でも帰らなくてはならない、という原作のテイストを再現する事ができている。全く余談だけど、僕は作品冒頭のセワシくんの「帰りたくないって言っても嫌でも帰ってくるようになってるから」というセリフを聞いて早くも泣いてしまった。フライング泣きというやつである。
閑話休題。なのでこの「成し遂げプログラム」については、僕は1つの作品の流れを作る上では許容の範囲内なのではないか、と思う。先程も述べたように、この装置の存在は最初と最後にしか触れられていないので、インターネットの人達が騒ぐ「強制的にお世話をさせられている」という感じもしなかった。そこまで目くじら立てるほどの事ではないのでは?と思う。
そしてこの「成し遂げプログラム」についての批判はもうひとつある。それは「ドラえもんに電流を流すなんて残虐だ!」というものだ。これについては先ほど上げた「F先生が見たらなんていうかな?」とセットで多くなされていた。
しかしこれについては僕は「こんな事言ってる奴は原作とか映画とか見てないんじゃないのか?」と首をひねる。原作ではドラえもんはもっと悲惨な目にあってるからだ。それが最も顕著に現れているのは、93年公開の映画「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」である。ここではドラえもんがブリキの軍団に囚えられ、拷問部屋に監禁されてこれでもかというくらい電流を浴びせられる。「お願い……許して……」というドラえもんを無視してどんどん強力な電流を流す兵団。最終的にドラえもんは壊れてしまい、海の底へ捨てられてしまう。余談だけれど、海の底に沈んだドラえもんが「のび太くん……せめてもう一度君に会ってから壊れたかった……」とつぶやくシーンも号泣必至なので、ぜひみんな見た方がいい。しかし余談が多いな。
他にも、おもちゃの兵隊に銃で撃たれて黒焦げになったり、体をバラバラにされかけたり(これは「のろいのカメラ」で作られた人形をジャイ子含む近所のガキに奪われ「お医者さんごっこだ!」と称して包丁で人形を切り刻もうとするものである。最終的には「死んじゃった」と言って埋められる)、とにかく原作でもドラえもんは、インターネット上の良識ある人々の言葉を借りれば「残虐な」目に合ってるのである。それを得意げに「そんな残酷な装置が原作に出てくるわけないだろ!こんなのをF先生が見たらなんて言うかな?」などと嬉しそうに言ってはしゃいでる連中は、原作読んだらショックで死んじゃうんじゃないだろうか。
そしてはたと僕は、どうしてこんな言説がまかり通っているんだろうか、と考えた。その結果、つまり「ドラえもんとは子供向けの良識ある漫画である」というイメージがひとり歩きし、結果そこまでドラえもんを読んでない人もドラえもんに対して「健全」な印象を持つようになり、そこで今回のような原作のテイストに則したシーンを目にすると(そもそもそれ言ってる奴らが本当に映画を見たのかというと疑問が残るが)「残虐だ!改悪だ!」と元気良くインターネットではしゃぎだす、というわけである。いわば彼らも消毒された現代社会の被害者なのだ。
あとびっくりしたのが「ジャイ子の扱いがヒドい!」というものだ。最初っからジャイ子を悪役として描いている、とその人はいうんだけど、でもなあ、今回の映画はまだマイルドな方で、原作の1話なんか、2階から落ちて木に吊り下がったのび太を見て「首吊りだ!ガハハ!」とか言ってるからなあ。映画見て怒ってたら、原作読んだら血圧の上昇に歯止めが効かなくなってしまう。

このように「STAND BY ME ドラえもん」への批判の9割は「原作の意向を無視している!」というものであった。しかし僕は、ここまで原作に忠実な映画もなかなかないもんだと思う。確かに「雪山のロマンス」のストーリーを変えたのは完全なる蛇足であったと思うし、他にもちらほら気になるところはあったが、決してそれは目くじら立てて激怒するような事ではなく、許容の範囲内である、と僕は思う。
インターネットで暴れている人達は免罪符のように「F先生の意向が無視されている!」と口々に喚き立てるが、果たして彼らはF先生のドラえもんを読んでいるのだろうか?その上で言ってるのであれば仕方がないけれど、読みもしないで言ってるのであればやめてほしい。そして、映画を見てもいないのに「なんとなく」で不満を垂れるのはもっとやめてほしい。文句や悪口を言えるのは、それをちゃんと見た事がある人だけだからだ。
ひとつ面白かったのは「のび太としずかちゃんの結婚が目標としているのに、その肝心な結婚式のシーンを描いていなかったからこの映画はダメ」という書き込みがあったことだ。まあさすがにこの人はフザけて書いたんだと思うけれど、ここで結婚式のシーンを入れたらそれこそ「改悪」だ。おいおい、その話いらないんじゃねえの?と僕はTwitterで青筋立てながら大暴れしていたと思う。

まあとにかく、僕はいい映画だと思いましたよ。新作は新作で面白いけど、こういう旧作を忠実にリメイクする作品なら、僕はまた見たいと思う。そして次作も「ドラ泣き」路線で推し進めていくのなら、僕は「ドラえもんだいきらい!?」や、ドラえもんのび太の関係という趣旨からは外れてしまうが「パパだって甘えん坊」も3D映画化してほしいと思う。少し前にテレビの方のドラえもんでこの「パパだって甘えん坊」が放送されたらしく、それを見逃した僕はほぞをかむ思いであった。見たかったんだよなあれ。誰か録画した人見せてください。

そしてもう1つ欲を言うなら、感動とは対局の位置にある、ドラえもんのハチャメチャなギャグテイストをそのまま3Dで再現して映画化してもらえないだろうか。このガスを注入するとどんな痛みや苦しみも快楽に変わってしまう「ヘソリンガス」の回で、のび太がみんなにこのガスを振る舞った結果、全員目がトロンとし、いつもの空き地がウッドストックのようになっている模様を3Dで忠実に再現してほしい。しずかちゃんのとろけた顔も3Dならもの凄く精巧に作れるはずだ。あと「入り込みミラー2」で、ジャイアンに自慢の高級スポーツカー「ポルチェ」をメチャクチャに大破させられた時のスネ夫の顔も3Dで見てみたい。よろしくお願いします。
でもなあ、こういうの映画でやると「不謹慎だ!」「残酷だ!」「F先生がそんな事するわけないだろ!」とか言われるんだろうなあ。世知辛い世の中だなあ。