006 たま解散、あれから10年(後編)

というわけで、あれは夜の10時くらいだったか、僕は家を出、電車3本乗り継いで、埼玉の片隅から吉祥寺まで向かったわけである。
そもそもライブというものにあまり行った事がなく、チケットの前売りのシステムとかもよく理解していなかったのだけど、まあ行けばなんとかなるし、今日買えたら始発が出るまでどこかで時間を潰せばいいし、まだ買えないのであれば会場の前で並んでいればいいだろう、という事を思っていた。ちなみに会場前に徹夜で並ぶ行為は迷惑なのでやめましょう、と当時の僕に伝えてやりたい。
そんなこんなで吉祥寺に辿り着いた。道に迷ってなぜか練馬区に突入したりもしたけど、無事スターパインズカフェに到着できた。そこで店員さんにチケットを買いに来た旨を伝えると、衝撃の事実が。なんとチケットの発売は明日の夕方で、また徹夜で並ぶのは禁止されているので、今ここで渡す整理券を持って、明日また来てください、というわけである。
今考えれば当たり前の話なのだけれど、当時の僕はいきなり計画が潰れて慌てた。さっさとチケットを買って朝イチで帰る予定だったのに、それが早くも頓挫してしまった。もう電車は動いてないから家に帰れないし、そもそも埼玉〜吉祥寺をもう一往復するだけのお金もない。さて一体どうしたものか。
途方に暮れながら吉祥寺の街をウロウロしていたら、なんと偶然駅前で朝までやっている激安の漫画喫茶を見つけた。確か当時は現在ほど条例が厳しくなく、また僕は老け顔だったので高校生だと思われる事もなく、もしかしたら思われていたのかもしれないけれどそこは店員さんの優しさで、無事その日の寝床を手に入れる事ができた。夜通し「東大快進撃」とか喜国雅彦しりあがり寿の漫画を読んでいたら頭が狂いそうになったけれど、そうして少し眠って朝が来た。確か朝の7時に店が閉まるので追い出され、それでもチケット販売まではまだ時間があるので、確か井の頭公園をウロウロしたり、玉川上水を見て「ここで太宰が死んだのか」と思ったり、武蔵野市立図書館に置かれていた「消えたマンガ家」を読んで山田花子の生涯に涙しているうちに時刻は夕方になり、僕は再びスターパインズカフェへと向かった。
そこにはたくさんの人が並んでおり、ああ、こんなにたくさんの人がたまの解散を悲しんでいるのだなとは思わず「本当にこれチケット買えるんだろうな」とあくまで利己的な感情しか湧いてこないのが僕の人間的欠陥の一つなのだけれど、それはともかくとして整理番号にしたがって列へと並んだ。その結果無事にチケットは手に入り、僕は満面の笑みを浮かべながら、再び吉祥寺から埼玉へと帰ったのであった。

さてそれから1ヶ月後、いよいよたまの解散ライブの日である。僕は初日、10月28日の回を見に行った。念のため早めに会場へ向かったのだけど、すでにそこには凄い数の人、人、人。チケットに印字されている番号にしたがって列に並び、開場時間を今か今かと待っていた。道行く人が不思議な顔をして我々を見ていたり、「今日誰が出るんだろうね?」と道すがら話すカップルの声が聞こえてきた事が印象深い。
確かこの列に並んでいる時、僕の前に居た大学生か社会人数年目か、といったくらいの年齢だと思われるお兄さんに声をかけられた。詳しい内容は覚えていないけど、開場するまでたまに関する雑談をしていたと記憶している。僕はそこで「せっかくライブに行ける年齢になったのに、その途端解散してしまって悲しい」というような事を話したはずだ。あの時のお兄さん、お元気ですか?あれから10年の年月が流れ、僕はこんな事になってしまいました。
閑話休題
そしていよいよ会場がオープン。僕は早めにいい場所を取ろうと思い、会場の2階席の前の方を陣取った。ここなら人の頭で前が見えないという事もない。僕はドキドキしながらステージが始まるのを待つ。そして客席の照明が落ち、会場のBGMも鳴り止み、ついにたまのメンバーがステージに現れた。たまの解散ライブ初日の始まりである。

この日のライブの模様はDVD「たまの最後!!」に記録されているので、曖昧な僕の記憶よりそちらを見てもらった方が確かなので詳しくは書かないが、とにかく素晴らしいライブだった、という事だけは確かだ。ラストライブだけれども決して湿っぽくならず、メンバーは当たり前のようにステージに立って、当たり前のようにいつもの曲を演奏し、そして、当たり前のように演奏が終わったらステージを去る。ただいつもと違う事は、メンバーがこのステージを降りたら、もう二度とこの3人は同じ場所に立たない、という事だけだ。
ライブが終わり、僕はステージの近くにより、たまの3人、そしてサポートの斎藤さんとゲストのライオン・メリィさんが使っている楽器の写メを、当時使っていた携帯電話でバシバシ撮る。この携帯は後に使いすぎでどんなに充電してもバッテリーが30分くらいしか持たないようになり、ついに電源も入らなくなりぶっ壊れてしまったので、この時撮った写真も全て消えてなくなってしまった。この時撮ったGさんのギブソンのベースは、高校3年間の間ずっと携帯の待ち受け写真として使っていた。

会場を後にした僕は吉祥寺のココ壱でカレーを食べ、埼玉へと帰った。解散ライブを見た、というよりは、いつものたまのライブを見た、という気分だ。しかしそれは決して間違っていないのだ、と思う。1984年にそれぞれ弾き語りを行っていた知久、柳原、石川の3名が何気なく始めた「たま」というバンドは、いつもと同じように、決して肩肘をはらず、何気なく演奏をして、それが終わったら、みんなそれぞれ別々のところへ帰っていく。「たまの最後!!」というタイトルに相応しいライブであった。

それから3日後の2003年10月31日、たまは解散した。

そしてあれから10年後だ。たまを解散した後もメンバーの3人は各々マイペースに音楽活動を続けている。知久さんと石川さんはパスカルズとしても活動しているし、Gさんと知久さんは「2 ni」というユニットにも参加している(今も活動しているのでしょうか?)。2008年の8月には「10年前の約束ライブ」と銘打ち(これは1998年に行われたファンクラブツアーの参加特典として配布された「10年後の2008年8月8日、たまのライブにご招待しますチケット」の約束を果たすためのライブであった)、一時的な再結成をしてしょぼたまでのライブを行い、ファンを沸かせた。
たまが解散した時16歳だった僕も、当たり前の話だが26歳になってしまった。その間、月並みな感想だが色々あった。バイト代をためてリッケンバッカーのベースを買ったり(これは未だにメインのベースとして使用している)、けれど友達が居ないのでバンドが組めず家で黙々と練習したり、紆余曲折あって高校を出たり、そのくらいの頃にたまのコピーバンド(「金魚鉢」という名前で3年ほど活動。濃ゆいたまフリークが何名も在籍する強力なバンドで、一度もライブをやらなかった事が悔やまれる)、大学に入って色々な人間関係に揉まれたり、「いい加減人間と接しないとダメになる」という理由で本屋でバイトを始めたり、19歳くらいの頃には客として見に行っていたニューウェーブピコピコパンクバンド「ピノリュック」に加入したり、翌年の成人式の日には無力無善寺で行われたイベントで石川さんと共演したり(成人式自体は式だけ出て帰った。中学時代の同級生とも遭遇したが、なにしろ埼玉の田舎なので、来ている連中は地方の人間特有のセンスのないケバケバしさを振りまいている者、逆に中学時代から何も見た目が変わってない者のどちらかしか居なかったので、なんとも悲惨な式だった)、ピノリュック解散後は同じく客として見に行っていた和風ハードロックバンド「ぐゎらん堂」に加入しライブに明け暮れたり、そしてこの頃からやはりまた学校に行かなくなったり、今現在ようやくバンドとして形になってきた「曇ヶ原」を弾き語り形態で始めたりと、まあつまりこの10年で大幅に人生が横道にそれていったわけである。
しかしまるで友達がおらず、ひとりぼっちだった16歳の頃から比べると、色々な人に出会い、恵まれた環境でバンドなんてものをやれていられるというのは、大きな進歩である。あの頃の僕が知ったらなんというだろうか。まったく音楽さまさまだ。

先日インフルエンザになったので埼玉の実家に数日間帰省した。起き上がる気力もなく、かといって寝てばかりいるので今更眠ることもできず、さてどうしたものかと思い、何気なく昔見ていた2ちゃんねるのたまスレを久しぶりに見たのだけれど、まあこれが実に悲惨な荒れ方をしていて、余計に具合が悪くなっていった。
主な揉め事の争点としては「新規ファンVS古参ファン」なのだけれど、その中で「たまは再結成するべきか否か」のような話題も上がっていた。書き込んでいる人の素性がわからないので全くの憶測なのだけれど、ざっくり分けてしまえば、再結成して欲しい派が新規ファンで、再結成しなくていいよ派が古参ファンなのだと思う。僕は新規ファンというわけでもなく、かと言って古参ヅラをするにはファン歴が浅すぎるので、どちらにつく事もできないし、逆に言えばどちらの気持ちもわかる。
実際に演奏しているたまを自分の目で見たいと思うのは当然だし、今はメンバー各々活動をしているわけだから、昔の話題ばかりを持ち出すのもどうなんだという懸念もわかる。
「お前は一体どっちの味方なんだ!」と言われたら、いつもと同じように曖昧なへらへら笑いを浮かべつつ「いやーどうなんでしょうねえ」とお茶を濁しながらそっとその場からいなくなるというのが僕のよく使う卑劣な手口なんだけれども、とりあえず僕の見解としては「本人たちがやりたくなったらやるだろうし、やりたくなかったらやらないだろうし、それでいいんじゃねえの」という実にいい加減なものである。
実際、しょぼたまとしてのライブは何年かに一回くらいの割合でやっているようだから、動いてるたまを見たい新しいファンは、その機会を逃さず見に行ったらいいんじゃないかと思う。無理はしないしさせないし、やれる時にやるし、見に行ける時には見に行く、それが「たま」と「たまファン」としてのベストな関係性なんじゃないかなと思う。

明日でたま解散から丸10年が経つ。石川さんのホームページには過去の日記が掲載されていて、2003年10月31日の日記にはこう書かれている。

「たま」お・し・ま・い!