002 青森で人間椅子を見た

少し前の話だけれども、9月14日に青森県夜越山スキー場で行われた屋外イベント「夏の魔物」を友人数名と見に行ってきた。僕は夏フェスというものに行くのはこれが初めてで、一体どんなものなのか、どうせ音楽をダシにしてあわよくばセックスを狙った男と女がうじゃうじゃ湧いて、森の茂みの方で何やらゴソゴソやってるんだろ、夏フェスなんて、クソが、という卑屈な思いを抱きつつ青森に向かったのだけど、結論から言うと凄く楽しかったです。何だこの小学生並みの感想。「楽しかったです」だって。アホか。
朝っぱらからBiSと非常階段のユニット「Bis階段」の演奏が行われていて、もはや前列の方で踊るBiSの面々しか見ていない客と、それにも関わらずギターを振り回すJOJO広重の姿を見て、なんとも言えない暗い気持ちになったのだけども、まあそれはそれとして、とにかく普段見られないような組み合わせの人達を立て続けに見る事ができたので、こういうのがフェスの面白さなのかなとも思う。もっとも普通のフェスでは、突然川越シェフが歌を歌い出したりしないけど。
今回見たいバンドはいくつもあったけど(高校時代、学校にも行かず部屋に寝そべって天井を眺めつつ、ネットラジオから流れる電波ソングを延々と聴くという廃人同様の暮らしをしていた僕にとって、青森の空の下でmilktub桃井はるこのライブを見るのは、あの頃の自分を打開できたような気分だった)、一番気になっていたのは人間椅子と、ROLLYwith人間椅子。そのステージたるや圧巻で、ROLLYwith人間椅子の時は途中停電のトラブルで何度も演奏中断の憂き目に合いつつも、ベテランの腕前で場を繋ぎ、それすらも逆手に取って会場を沸かせるという芸当をやってのけたし、人間椅子の時はもはや説明不要。ラストの「りんごの泪」「針の山」では最前列でモッシュが起こるという盛り上がりを見せた。
その後時間の関係で、夜更けの山間に響く三上寛の怨歌を聴きながら会場を後にした。そこから電車で岩手県の久慈に移動して一泊し、翌日は「あまちゃん」の舞台地のあちこちを回ったのだけど、まあこれは長くなるので割愛するとして、それから再び青森へ向かい、青森市のライブハウスで人間椅子のライブを見に行ったのであった。二日連続で人間椅子。性格が変わりそうだ。
この日のライブも満員御礼で、客席は老若男女問わず、その場にいた全員が人間椅子の繰り広げる新曲、旧曲入り混じったステージを夢中になって見ていた。
満足したまま我々は夜行バスに飛び乗り、東京へと戻ったのであった。

さて、人間椅子の話である。
人間椅子とはもはや説明不要の、日本を代表すると言っても過言ではない「日本語によるハードロックバンド」である。89年にイカ天に出場し一躍脚光を浴び、90年にメジャーデビュー。その後バンドブームの終焉とともに長らく不遇の時代を過ごしたが、ここ数年再び注目されつつある。特に今年行われたオズフェスに出演、そしてももいろクローバーZのステージに和嶋さんがゲスト参加した(これには賛否両論あるが、僕は「使えるものは何でも使おう」という主義なので、これが結果的に人間椅子知名度アップに繋がったのだからいい事だと思う)という事もあり、現在は若いファンも増えているという。
結成25周年を迎え、今もなお精力的に活動し続ける彼らを見て、バンドマンたちはこぞって「バンドを続けていく勇気をもらった」「続ける事が一番大事だ」「諦めなければどうにでもなる」という。
しかしそれは、本当に正しい事だろうか?

確かに人間椅子は、メンバーの脱退、メジャーからの切り捨て、伸び悩む動員、といった不遇の時代を乗り越えて、再び現在若く新しいファンを増やしていったという実績がある。しかしそれは人間椅子だからできた事であって、例えば我々のような有象無象が20年以上見当違いな努力をしたところで、それはただただ時間とお金と労力を消費するだけだろう、と思う。
こういう事を言うと必ず「才能より努力が重要だ!」という人がいる。もちろんそれは間違っていない。だがしかし、僕たちはきちんと「努力」をしているだろうか?
「いつやるか?今でしょ!」という、今世界で一番使う事をためらわれる日本語を生み出した人でお馴染みの林先生が「『努力は必ず報われる』というのはウソだ。『正しい方向に進むための適切な努力は報われる』というのが正しい」と言っていたが、正にその通りだと思う。
果たして僕たちバンドマンは、人間椅子のような努力をしているだろうか?新曲を常に作り続けてはいるか?似たようなステージにならないよう心がけているか?変なライブハウスのウソみたいなブッキングライブにボッタクリみたいなノルマを支払い金銭的に疲弊していないか?無意味に飲み会に参加し、その界隈の「先輩」をヨイショしてつまらない人間関係を維持するのに躍起になっていないか?「メジャーに行ってもロクな事がないよ。マイペースに活動するのが大事だね」という言葉を免罪符にして、同じ人間ばかりがウロウロするだけのぬるま湯コミュニティにどっぷり浸かっていないか?
この努力ができていて、初めて「我々も人間椅子のように頑張ろう」と言う事ができる。そうでない人があたかも自分が人間椅子と同じ努力をしているように語るのは、傲慢以外の何物でもない。

なんだかんだで細々とバンドを6年やっているけれど、その間結構な割合で「バンドで売れる気はさらさらないんで」とか「自分のやりたい事をやれるのが一番だよ」という人に出会った。もちろんそのうちの半分くらいの人は本当にそう思ってると思うし、決してそれは悪い事じゃない。制約に囚われることなく本当に自分のやりたい事を自由にやるというのは素晴らしいことだ。
しかしもう半分くらいは「この人心からそう思ってるのかな?ポーズじゃないのかな。あわよくば一発当てたいと思ってるんじゃないのかな」と勘ぐってしまう人もいる。
で、なぜかこういう人の前で「バンドで食っていきたい」という話をすると、嬉しそうに「いかに現在の音楽シーンが腐敗しているか」「もはや音楽で食っていくのは無理」「だったら売れなくとも自分の好きにやった方がいい」という話を大きな声で始める。言ってる事は間違ってないし、むしろ正しいんだけれども、でもなあ……と、うっかりその人が矮小な打ち上げでお客さんとキャッキャしてる姿を見てしまうと、首が大いに傾いていく。
そもそも人間椅子だって一度メジャーに行ったしね。たましかり、筋肉少女帯しかり、しっかりと活動をしているバンドは大体一度メジャーの波に揉まれている。それを踏まえた上で「いや、メジャーに行くのはそんな良い事じゃないよ」というのはわかるが、一度も浮上した事がない人がメジャーの害悪を説いたところで、それはもはや酸っぱいブドウとしか思えない。
もちろんそれは人それぞれだし、メジャーに行って「ビッグになる」事だけが音楽活動の目標じゃないので、小規模に自分のやりたいと思える事だけをミニマルにやっていくというのでもいいのだけど、やっぱり僕としては、勢いのあるバンドマンには、スカしたコメントではなく「何が何でも音楽で食って行きたいんすよ!」くらいの事は言ってほしいなあ、と思う。

ちなみに僕のポジションは「積極的に売れようとは思わないが、できるだけオープンにして規模を広げていきたい」というものです。まあそれに向けて頑張っていきますよ。